首都プノンペンでは、ポル・ポト政権時代に行われた大虐殺が行われた刑場跡に行くことにしました。
やはりこれは人間としての義務、というか・・・
人類の浅はかな行為をしっかりと心に焼き付ける、という意味で大事なことだと思います。
今回は子供たちは一緒でなかったのですが・・・
子供たちが小さい頃から、広島、フランスの第1次世界大戦跡、プラハ近郊テレジーンのユダヤ人強制収容所など・・・
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やっと会えたね、アンネ
Imperial War Museum
ホロコースト・メモリアル・デイ
機会があれば訪れるようにしています。
子供たちが小さい頃は、「なんでそんなところに小さな子を連れて行くの?」と聞かれたこともあるのですが・・・
私もダンナも、こういった社会勉強は年齢の制限をする必要はない、という考えです。
子供たちにはそれぞれ感性があり、その年齢でそれなりに現場で感じることがあるだろうし・・・
戦場や強制収容所にいた子供たちにはそれ以外の選択肢がなかった、という事実があるからです。
今回、プノンペン滞在は短かったので・・・
プノンペン郊外のキリング・フィールドではなく、ココへ行くことにしました。
元高等学校の校舎であった、政治犯収容所S21です。
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Tuol Sleng Genocide Museum(トゥール・ スレン・ジェノサイド博物館/虐殺博物館)
本来ならば、学問の場所として使われるはずなのに・・・
1975〜1979年の間、ポル・ポト率いる極端な共産主義を掲げるカンプチア共産党(通称クメール・ルージュ)が、監禁、尋問、拷問、殺害をしていた場所です。
窓の鉄格子は収容所として使い出してから取り付けられ・・・
学生が体育時間に使用していた鉄棒なども、そのまま処刑道具として使っていたのだとか。
政治犯収容所S21を、そのまま博物館として利用し展示されているので・・・
迫力があり、心に突き刺さるものがあります。
当時どのような政情であったのか、
どのように虐殺行為が行われていたのか、
その時世界はどのような反応を示していたのか、など。
たった数年間で約170万人から200万人の人々がカンボジア内で大虐殺された、と推定されていますが・・・
この収容所だけでも1万2千人〜2万人と言われています。
そしてここで生き延びたのはたった12人。
この収容所に連れて来られ殺害された人たちの、夥しい数の顔写真が展示されているのですが・・・
中には赤ちゃん、子供、女性など、政治犯とは言えない人たちがたくさんいました。
何の罪のない人たちを大虐殺していた、ということ。
独房もたくさんあるのですが・・・
この独房生活を生き抜いたのがChum Mey(チャム・メイ)氏。
この博物館内で、メイ氏とお会いすることが出来たのですが・・・
優しそうな穏やかな方でした(写真右の「サバイバー」の著者)。
もう80代後半でしょうが、なるべく長生きして欲しいと思います。
クメール・ルージュによって、教師、大学教授、医師、エンジニアなど多くの知識人が殺害されたので・・・
国としての復興にはまだまだ時間がかかるとは思います。
でも若い活気のある国なので、きっと大きく飛躍するときがくるはずです。
人間というのは愚かで、今でも内戦や戦争が世界で起きていますが・・・
いつか全世界の平和が訪れますように!
最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました♪
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